深澤辰哉という人は

普段長文を書くことは無いんですけど
こんな機会だから書いてみようと
理系の語彙力で書いていきたいと思います

私が深澤辰哉というアイドルに出会ったのは
明確には覚えてないのですが
一番古い記憶が2013年のときだから
もう6年も経ってることに驚いています


この時のSnowManって存在はしてるけど
少クラに出るのはいわふかだけで
先輩のバックのプロで居れば安心
後には予約の取れない焼肉屋さん
なんて言われてましたね

まさにそんな感じでデビューなんて
目標は掲げてるけど
THE 舞台班って感じでしたね

ガムシャラ!が始まっても不定期の出演だったし
プリンスやジェシー、安井くん、田中樹といった
やっぱりメインメンバーにはなれなくて
なんなら、結局出てないメンバーも居たりして
結構辛かったな...て今になって思ったりもします

2015年、ゴリ押しされてたSixTONES
バーターとして採用されたであろう少年たち
最初はSnowManの出演予定なんて無かったこと
ポスターがSnowManだけ小さく映ってたこと
それが凄く悔しかったこと
全部、全部思い出だったりします

そこで初めてのオリジナル曲を貰ったことは
泣くほど嬉しかったですね

そのZig Zag LOVEは6人のSnowMan
代名詞になって、キスマイ兄さんの
バックに付いたときは
あのドームで6人だけで歌わせて貰って
大きな武器になった曲でしたね

そこからSnowManの立ち位置も変わってきて
やっぱりJr.の先頭にはキンプリがいたけど
LOVE-tuneSixTONESと言った
事務所から推されてるグループに対して
実力で肩を並べるまで成長してきたんだなって思います

EXシアターに1日3公演入ったこと
佐久間が投げたカラーボールを
キャッチしたこと
目の悪い深澤さんに紫のペンラを
全力で降ってたこと
そして毎回のように気づいて貰えたこと

クリエに皆で並んだこと
1,000人超えの当日券参加者がいたこと
リハの音漏れが聴こえたこと
沢山のすの担と出会えたこと

偶々行ったジャニショで
偶々YouTubeの撮影をしていたこと

現場毎にワタシとSnowManとの思い出は
ちゃんとそこにありました
毎日が凄く楽しくてワタシの青春は
SnowManと共にありました



それが大きく変わったのが
2018年1月17日キンプリデビュー発表日
良いのか悪いのか偶々ジャニアイに観劇する日で
公演前にキンプリが挨拶したこと
それに対して多くの記者の方々が来たこと
これがデビューなんだと改めて痛感しました

何よりも辛かったのが舞台最後に
東山さんから言われた
今日から"King & Prince"です
と言われたときの岩本さんの顔

ワタシはこの時の岩本さんの顔は
一生忘れないと思います

言葉にして表現出来ないくらい
悔しいけれど前を向いている
そんなSnowManのエースの姿がありました


キンプリがデビューしたことにより
周りのジャニヲタじゃない人達が
キンプリについて話すようになったこと
キンプリがテレビに出るようになったこと
一般の方々にキンプリが知れ渡ること
日々、デビューの大きさに痛感し
やっぱりSnowManにはデビューして欲しい
そう思う毎日でした

そこからは悪く言えば数字との戦いでした
グッズは制限まで買って売り切れにする
YouTubeの再生回数を伸ばす
メディアに手紙を送る
雑誌を買い漁る
SnowManの為に遠征する

今までやってなかったやれること
SnowManがデビューの為になるようなこと
やれることを探せばいくらでもあった

でも、やっぱり焦りはあった
ここからはワタシの推測だが、
多分、Jr.担の多くの人が思ってた事だけど
2020年には絶対何処かがデビューすると思った
そしてそれは若いJr.だと思った
ハイビとか、良くてSixTONES
そのどちらかが2020年に合わせて
デビューさせると思った
何故だかわからないけど2020年のデビューは
SnowManじゃないと思った

そうなってくると自然とSnowManのデビューは
2019年にさせなければならない
2021年では遅いことも明確だった


尊敬する滝沢秀明の引退に
Jr.のプロデュースにより
Jr.に再び光が当たることは容易に想像できた

でも、このままではSixTONESよりも
上に居れないとも思っていた

そんな中に報道された
2019年1月17日の増員発表...

各々のメンバーを見てきただけあって
各々の居場所を手放してまで来ることに
本当に意味があるのかと疑問に思った

そして、何よりも新メンバーがディスられてたことに心が傷んだ
6人でデビューさせられなかったのは絶対に6人のファンだった私たちの問題であり
そのマンネリを変えるために
デビューへの道を一歩進めるために
増員は必要だったんだと思う

そのあとの数日間は不安だったし
なんなら、神社に行ったりもした←
南座で京都に行ったときは
願い事を叶えてくれる事で有名な
鈴虫寺に行くことしか考えていなかった
まぁ、自分の気持ちに整理するためにも
必要な事だったと思う

ただ、6人のSnowManの居心地が良すぎたのは事実だった
そして、6人のSnowManはワタシの青春でした


9人になってからの毎日はあっという間に過ぎていきました
南座新橋演舞場、横アリ単独に玉アリ公演
毎日のように出演するテレビにラジオ
6人時代よりも遥かに上回る仕事量
それに対して当たり前だと突き進む精神

強くなったなぁ...大きくなったなぁ

ただそれだけで毎日嬉しかったです



そして、2019年8月8日
ワタシの21歳の誕生日
嬉しいことに連れてっていただいた


東京ドーム


座席はアリーナのバクステ側カメラ横
ノーストレスで見れる花道

19年振りのJr.のコンサートを
こんなにもいい場所で見ていいのかと!



そして始まったコンサート
OPから伝わるただのコンサートじゃない雰囲気
自担を探しつつ進むセトリ

そして始まったMC
各グループが宣伝をしていく中
SnowManは宣伝の内容が多いからと後に回されたと思った

各グループのコンサートツアーの決定
SnowManのアジアツアーの決定
SixTONESの全国ツアーの決定

Jr.ってなんだんだよ...
デビューの定義を教えてくれ


そんな独り言を呟いたそのあと
皆さんのご存知の通り
ジェシーから


皆さんに伝えたいことがあります


そう言われました
その時、SixTONESデビューが決まると腹を括りました

でも、一人一人映し出されたモニターには
ワタシの応援するSnowMan
深澤辰哉の顔も映りだされてた


その瞬間、目の前が滲んで前が見えなくなって
でも、今見なきゃ絶対に後悔する

そんな状況で涙をグッズのタオルで拭きながら
ひたすらモニターを見ていました

顔はボロボロだったけど贅沢な時間でした


そのあとにJr.皆で歌ったFire beatでの
Travis Japanやなにわ男子の顔は
あの時、忘れないと言った岩本さんの顔にそっくりで
あの時悔しくて見ることが出来なかった
夢見てた場所にSnowManがいることに
とても感慨深くなりました

こうやって嬉しい思いもする者も居れば
悔しい思いをして突き進む者もいる

それは、皆が愛する
ジャニーさんが居なくなっても続いていく
大切な思いの連鎖でした


SnowManデビュー決定おめでとう!
2020年になっても、それからもずっと
ワタシの中のアイドルでいてください

もしかしたら、ワタシは
ジャニストの時みたいに
疲れて立ち止まっちゃうかもしれない

手が届かないところまで突き進んで行っちゃって
もう戻ってこないかもしれない

そう思うと、今までの時間が少し寂しくなっちゃうけど
そんな事お構いなしに
何処まででも行きたいところへ行って欲しい

そして、タッキーに、私たちに
今までに見たことない景色を見せて欲しい


深澤辰哉さん
入所15周年おめでとうございます

同期がデビューして
5周年、10周年と盛り上がっていても
後輩が次々デビューしていっても
いつもJr.の最年長として
SnowManの頼れる最年長として
いつも前を向いて進んでくれて
腐らずにアイドルをしてくれてありがとうございます

ワタシは貴方に出会えて幸せです
貴方はきっとこれからも
8人の大切な仲間と共に
何処まででも飛び立っていくんでしょう

いつかこんな日の思い出も
薄れていくような濃い毎日を送るでしょう
でもワタシは今までの日々を忘れはしないし
これからもずっと忘れないでいたいです

SnowManのお陰で出会った人々、
過ごした時間の数々は
ワタシにとってとても貴重な財産となりました




SnowMan、そして深澤さん
今までありがとうございます
これからもどうぞよろしくお願いします

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